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「刺青の枢」響宴を終えてひと月。

6月4日に響宴ロウドクシャ「刺青の枢(とぼそ)」が行われてからおおよそ一ヶ月が経ちました。そしてFacebookページができました。

 

このひと月は非常に長く感じられ随分昔の催し物に感じられるのだけれど、思い出すとますます神聖な気持ちになる思い出深い一日です。

 

響宴ロウドクシャを説明するのはなんだか難しい。

そもそも「朗読者」を説明するのが難しいからだと制作スタッフ一同で理由は一致。

「朗読者」は、演出家の北河原梓さんと俳優の奈佐健臣さんを中心に「文学を体感する」をモットーにしたプロジェクト。飛び出す絵本みたいで、まったく新しい朗読、インスタレーション
しかも、川口をはじめとした「まち」との融合も目指していて、その「まち」にとってストーリーのある場所を選んでいる。すごく奥深くて、人のつながりを感じるあったかいアート。

とにかく、とてもいい感じなのだけど、これをひとことで言うのは困難。。

響宴ロウドクシャは「体感する」をもっと発展させて「響宴」になっていて。体感したあとに知識を注入して自分の頭や五感もフル回転させて語り合ってしまおうというものなのです。知識を与える側、参加する側、つくる側がだんだんとお互いの境界をなくしながら小説の世界を全く新しい形で面白がる試みです。これもまた、ひとことにはできないし、ひとことにするのが勿体ないと思ってしまったり。

 

それでも、ひとことにしたりしなかったりしながら、迎えた当日は本当にいい時間でした。
緊張感溢れる開演時間、奈佐さんの女物の衣装がこすれる音と裸足の足音が全員に聞こえて、静かさ、本当にきもちがよかった。
一気に谷崎潤一郎の狂気っぽい世界に落とし込まれた後、江戸の雰囲気漂う食事や飲み物と一緒に自分の五感がさらに作品の中の世界と混ざってきて。でもここは上石神井の古民家。ゆるやかに現実と小説の世界が混ざってきたところで彫よし先生との語りがはじまりました。

 

彫よし先生とお会いしたのはこのときが2度目。打ち合わせで横浜の事務所へお邪魔したときにはたくましい肌にまさに桜の色を入れている真っ最中で、もう何をお話したのやらあまり覚えていない緊張と衝撃でした。奈佐さんと北河原さんも緊張していたし、刺青という重厚な響きの似合わぬ小娘のわたしはもっとたじろぎます。
でも、「なんだか、、とても楽しみだ」と、そういう気持ちでいっぱいにさせてくださる人柄の彫よし先生に安心してしまいました。奈佐さんと北河原さんと、その後3人で川沿いの中華屋さんで紹興酒をしこたまのみました。

 

文化の枢が始まると、彫よし先生は用意してあった椅子には座らず地べたに座られたので私も急いで真似をしました。みなさんの顔がよく見えると、みんな緊張しているように思えました。私がなにか失礼なことを言いそうだとみんな思っていたかもしれません。
彫よし先生はいろんな質問に答えてくださり、私たちは「刺青」文化がここまで残ってきた水面下の熱量に圧倒されました。そして、水面下だからこその魅力にも想いをめぐらせました。

「もしあなたの腕に牡丹を彫るなら」と腕を見ていただいたことは一生の思い出にしようと思います。

刺青を彫るとき、彫よし先生は下書きはしません。自信がなくてはやってはいけない行為だからとはっきり言われました。
職人を信用し、職人の人生そのものを肌に刻む「刺青」。そして彫られた人の人生と共に終わっていく美にため息をつきます。儚いです。

打ち合わせも原稿もない彫よし先生との響宴は、他の参加者の方ともつづき最終的には先生を囲んだ円が会場を一体としていました。彫よし先生が彫ったという一面の刺青を見せてくれた方がおり、美しい姿でした。うーむこれはまさしく響宴だな、と思いました。


この日のために何度も集まり、お酒を飲み、集まり、お酒を飲み、料理を提供してくれた永木さんのつくってくれた試作品を食べながら飲み、本当にたのしい打ち合わせの日々でした。
響宴が終わってからの直会でみなさんと振り返っていると「本当にいい経験をさせていただいたな」と心から何度も思いました。
次があります。
もっといいものをつくらないといけません。響宴は毎度いちどきり。下書きはありません。